消える光の祭り — ダラム Lumiere と Artichoke の十六年
The Lights Go Out: Durham's Lumiere and Artichoke's 16 Years, 2009–2025
この記事は、AIが企画・編集・公開を行なっています。情報に誤りが含まれる可能性があります。情報の修正・埋め込みの削除を希望される場合はこちらの手続きをご覧ください。
十一月のダラムは、午後四時をまわると空が藍色に沈む。イングランド北東部、ウェア川がU字に大きく蛇行するその内側に、ノルマン様式の大聖堂と城が丘の上で身を寄せ合っている。千年近い歴史を持つこの世界遺産の街の、いちばん夜の長い時期の数日だけ、大聖堂の巨大な西壁に映像が投影され、川岸や石畳の路地に光の作品が点在する。人々はチケットを買うのではなく、冬の暗い街をただ歩くことで作品に出会う。英国最大の光の祭典 Lumiere(ルミエール)は、二〇〇九年からこの街が隔年で灯してきた催しである。そして二〇二五年十一月、それは現行のかたちとして最後の夜を迎えた。
本稿が読み解くのは、この祭典が「隔年の冬に街を灯す」という時限の型を十六年つづけ、そして自ら幕を引いたという事実である。本誌が「候(KO)」と呼ぶカテゴリ——気候や季節、時限性を作品成立の条件とする系譜——のなかで、Lumiere は、冬の闇という気象条件と、二年に一度という周期の両方を存在条件とした事例にあたる。そして終わりが公表されたことで、季節に依存する光の祭りがどれほど脆い基盤の上に立っていたかが、いま逆側から見えている。
一つの街を、二年に一度灯す
Lumiere を制作してきたのは、Artichoke という団体である。二〇〇五年、ソールズベリー国際芸術祭のディレクターだった Helen Marriage と Nicky Webb によって設立された非営利のプロダクション組織で、美術館の外——都市の街路、地方の田園、海岸線——を舞台に、大規模なパブリックアートを手がけてきた。街そのものを一時的に作品の器に変えるという発想が、この団体の一貫した手つきである。
その Artichoke が、二〇〇九年十一月、ダラムで初めて Lumiere を開いた。四夜で七万五千人が訪れたこの第一回を起点に、以後ダラムではおおむね二年に一度、十一月の数夜に祭典が繰り返されてきた。二〇一三年には欧州文化都市に選ばれた北アイルランドのデリー(Derry〜Londonderry)で、二〇一六年と二〇一八年にはロンドンでも開催され、Lumiere は英国各地の街を光で塗り替える巡回型の祭りとして知られていく。だが中心はつねにダラムにあった。世界遺産の大聖堂と城、川に囲まれた小さな歴史都市の地形そのものが、光の作品を配置する下絵として機能したからである。
隔年という周期は、この祭りのリズムを決めていた。毎年ではなく二年に一度であることは、準備に時間をかけられるという制作上の理由と同時に、街の側にとっても「今年はある年か、ない年か」という期待の周期を生む。祭りのない年の十一月の闇は、ただの冬の闇である。その空白の一年があるからこそ、灯る年の街は特別なものになる。時間のなかに意図的に「間(あいだ)」を置くことが、この祭典の設計に組み込まれていた。
誰が光をつくるのか — BRILLIANT
Lumiere を単なる「有名作家の光の見本市」から遠ざけていたのは、BRILLIANT と名づけられた公募プログラムの存在である。二〇一一年に始まったこの仕組みは、光のアイデアを一般から募るもので、応募は職業的な作家に限られなかった。選ばれた提案は Artichoke の支援を受けて実作へと育てられ、招聘された国内外の作家の作品と並んで街に展示された。
この BRILLIANT を通じて、二〇二三年までに二十七点の作品が Lumiere で発表され、延べ四百万人以上の観客がそれを見たと Artichoke は公表している。二〇二三年版でも、北東部シーハムを拠点とする作家やダラム生まれの映像作家、聾の建築家・視覚作家、王立芸術学院を出たばかりの制作者らが、国際的な招聘作家と同じ街路に作品を並べた。誰が街に光を点す資格を持つのか——その問いに対して、Lumiere は「地元の一般市民でもよい」という答えを制度として用意していた。
季節の催しにおいて、この設計は小さくない意味を持つ。冬の闇という「地」は、その街に暮らす人々が共有する条件である。ならばその闇に光を点す「図」もまた、外から招かれた作家だけでなく、その闇のなかで暮らす人の手から生まれてよい。BRILLIANT は、点景を描き込む筆を街の側に半分ひらいておく仕組みだった。
大聖堂という画面
Lumiere の中核をなしたのは、ダラム大聖堂という比類ない建築を画面に変える投影であった。第一回の二〇〇九年、投影作家 Ross Ashton は、音楽の Robert Ziegler、音響の John Del'Nero とともに《Crown of Light》を制作する。ノルマン様式の大聖堂の西壁——幅およそ百メートル——を丸ごとスクリーンとし、七世紀に北方の聖なる島で作られた装飾写本《リンディスファーン福音書》の図像や、大聖堂内部の意匠を、石の壁面いっぱいに走らせた。千年の石積みが、数夜だけ、その内部に秘めてきたイメージを外へ映し出す装置に変わった。
《Crown of Light》は好評を博し、その後の版で複数回ダラムに呼び戻された。大聖堂を舞台にした試みはこれにとどまらない。二〇一五年にはフランスの作家 Miguel Chevalier が、大聖堂内部のヴォールト天井にインタラクティブな作品《Complex Meshes》を投影している。外壁と内部天井、いずれの場合も、投影は建築の形状を平らなスクリーンとして扱わず、石のかたちそのものを映像の運動に取り込んだ。本誌がリヨンの Fête des Lumièresで見た、支持体となる歴史的建造物を消さずに使い切る手つきと、ここでも通じ合っている。
作品はいずれも無料で、多くは屋外の公共空間に置かれた。観客は入場料を払うのではなく、冬の街を歩くこと自体で作品に出会う。祭りが終われば、大聖堂の壁は元の石の色に戻り、路地は日常の路地に戻る。数夜のあいだだけ現れて消えるという性質そのものが、この催しを「常設のミュージアム」からも「恒久の照明」からも隔てていた。
灯を保つ費用
無料で街を歩けば出会える——その気安さの裏で、Lumiere は決して安価な催しではなかった。二〇二五年版の予算は約二百五十万ポンドに達している。第一回二〇〇九年の約六十五万ポンドから、規模の拡大とともに費用は大きく膨らんだ。
この費用は官民の複数の資金源で支えられていた。二〇二五年版でいえば、イングランド芸術評議会(Arts Council England)が五十万ポンド、ダラム州議会が一千万ポンド弱と多大な運営支援を担い、残りを Artichoke が百一の支援者から集めて成立させた。無料の公共イベントであるということは、来場者からの入場料収入がないということでもある。祭りの正統性が「誰でも無料で歩ける」ことにある以上、その灯を保つ費用は、公的資金と寄付が肩代わりするしかない。
費用を押し上げたもう一つの要因が、警備であった。二〇一七年のマンチェスター・アリーナの事件以降、大群衆が屋外に集まるイベントの安全対策は、以前とは比較にならない規模とコストを要するようになった。冬の街路に何十万人もの人が繰り出す Lumiere にとって、これは無視できない負担である。Artichoke のディレクター Helen Marriage は、後にこの点を率直に語っている。季節に依存する光の祭りは、天候だけでなく、その季節に人が安心して街路へ集まれるかという社会の条件、そしてそれを支える財政の条件に、二重三重に依存していた。
灯が消えるとき
二〇二四年四月、ダラム州議会は、膨らみ続ける費用を管理する方策を検討した末に、二〇二五年版を現行フォーマットの最後とする方針を決めた。そして二〇二五年十一月、Lumiere は現行のかたちとして最後の三夜を灯した。九つの版を通じて、ダラムには延べ約百三十万人が訪れ、この世界遺産の街の経済におよそ四千三百万ポンドを落としたと見積もられている。十六年、九回、無料——数字だけを見れば、これは成功した公共文化事業の記録に読める。それでも灯は消えた。
Helen Marriage は、終了にあたってこう述べている。
— The Art Newspapersource善意の高まりはあった。だから何かが生まれてくるかもしれない。でもそれは私たちではないだろうし、Lumiere でもなければ、Artichoke でもないだろう。
祭りを支えてきた当事者が、自らの手による再開を否定しつつ、それでも「何かが生まれてくるかもしれない」と言い残す。この言葉が示しているのは、Lumiere という固有の催しは終わっても、冬の闇に光を点したいという都市の欲求そのものは残る、という事実である。灯を点す主体は交代しうる。だが灯を点す場所——世界遺産の街の、長い冬の夜——は動かない。
ここで「候」というカテゴリの核心が現れる。季節は毎年巡ってくる。二〇二六年の十一月も、二〇二七年の十一月も、ダラムの空は午後四時に藍色に沈むだろう。冬の闇という「地」は、祭りがあろうとなかろうと、確実に街を訪れる。変わったのは、その闇に光の「図」が点されるかどうかである。点景とは、広大な風景のなかに小さく描き込まれた人物や舟が、風景全体に意味と尺度を与えるという概念だった。闇は毎年来る。しかし闇があるだけでは、それはまだ点景の「地」でしかない。そこに誰かが光を点して初めて、冬の街は図と地を持った一枚の絵になる。
本誌はこれまで、市そのものが灯すリヨンの Fête des Lumièresや、南半球の冬に開かれるVivid Sydney、中欧の秋に街を占めるSignal Festivalを通して、季節を前提に組まれた光の催しを見てきた。それらの多くがいまも続くなかで、Lumiere は「終わり」を見せてくれた稀な事例である。季節に依存する光の祭りは、冬が巡るかぎり毎年でも開けるように見えて、実は公的資金と寄付と警備という、季節とは無関係の条件の上にかろうじて立っている。その基盤が崩れれば、闇はそのままに、光だけが来なくなる。十六年つづいた点景が消えたあと、ダラムの十一月の闇は、以前より少しだけ深く見えるはずである。
出典
- Lumiere Durham 2025 — Artichoke(公式プロジェクトページ)
- Lumiere — Durham County Council(委嘱主体・公式)
- Lumiere Durham 2015 — Artichoke(公式プロジェクトページ)
- Lumiere Durham 2023 — Artichoke(公式プロジェクトページ)
- Artichoke (company) — Wikipedia(設立・沿革・開催地)
- Crown of Light — Ross Ashton(作家公式・作品解説)
- BRILLIANT ideas chosen for Lumiere 2023 — Artichoke(公募プログラム・実績)
- Farewell to Lumiere? UK light festival holds what may be its final edition — The Art Newspaper(終了・予算・発言)
- Let's not let the lights go out — LUCI Association(終了をめぐる論評・意義)
運用カルテ
- Artichoke(制作)/ ダラム州議会(委嘱)
- ダラム
- フェスティバル編成 — 2005年設立の非営利団体 Artichoke が制作し、ダラム州議会が委嘱する官民協働型。会期はすべて無料。作品は招聘のほか、2011年開始の公募プログラム「BRILLIANT」を通じても集められた
- 委嘱・招聘による制作。BRILLIANT は職業作家に限らず一般からの提案を受け付け、選ばれた案を制作支援した
- ダラムでは2009年以来おおむね隔年、11月の数夜(4夜が基本、2025年は3夜)。ロンドン(2016・2018)とデリー(2013)でも開催
- ダラム市街の街路・橋・河岸・歴史的建造物へのプロジェクションとインスタレーション。2023年は約4夜で16万人、2021年は37作品
- 2009
- 終了 — 2025年11月版をもって現行フォーマットは終了。ダラム州議会は2024年4月に2025年を「現行版の最後」とする方針を決定。九つの版で延べ約130万人が訪れたと見積もられる