いくつもの時計 — 中村勇吾、十五年の解体記
Clocks, Many Times Over: Yugo Nakamura’s Fifteen-Year Dismantling of the Timepiece
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東京メトロ日比谷線・虎ノ門ヒルズ駅の改札を出ると、正面に幅一七メートル、高さ二メートルの横長のサイネージが据え付けられている。表示されているのは、ただの時計である。デジタルの数字が刻一刻と切り替わり、毎時〇分になると、周囲の柱のディスプレイと連動してカウントダウンが走り、空撮の虎ノ門の街並みが切り替わる映像と共に新しい時刻が打たれる。装置の名前は TORANOMON HILLS CLOCK。二〇二三年一〇月、虎ノ門ヒルズステーションタワーの開業と共に常設された。手がけたのは中村勇吾(tha ltd.)である。
中村勇吾は「時計」を何度もつくり直してきた作家である。tha.jp の作品アーカイブを年代順に並べると、二〇〇九年の《DROPCLOCK》から二〇二三年の《TORANOMON HILLS CLOCK》まで、約一五年のあいだに七つの「時計」が点在している。Web、映像、店舗インスタレーション、空港、駅前のサイネージ——時計は素材も拠点も変えながら、しかし一貫して「中村勇吾の時計」として連なってきた。本稿はその七作を一本の線で結び、「時計という形式」が画面の中から都市の点景へと漏れ出していく経路 を辿る試みである。
起源 — 数字が落ちる、光が告げる、写真が色を吐く(二〇〇九〜二〇一三)
最初の時計は、数字が水に落ちる映像だった。《DROPCLOCK》(二〇〇九)はイッセイミヤケのために制作された店舗インスタレーション兼スクリーンセーバーで、Helvetica で組まれた巨大な数字が水面の上から落下し、ガラスの容器に水しぶきを上げて沈む、その一連の動作が一分ごとに繰り返される。映像監督は酒井絵里香、アートディレクションが中村勇吾。文字が「物質」として水を打つ瞬間の質量と粘性——時間そのものを文字に変換して落とすという発想は、それまでの「数字で時刻を表示する」というデジタル時計の前提を、いったん物理現象に置き換える操作である。時計が時刻を伝える前に、「数字が落ちる」という出来事として時間を体感させる。後年、この作品は FRAMED* というデジタルアートディスプレイ製品の launch coordinated work としても展開され、世界中の居間に届けられている。
翌二〇一〇年の《ひかりの時計》は、Web や映像作品ではなく、商業空間の常設インスタレーションとして発表された。西武池袋本店地下一階の改装に伴い、廣村正彰のクリエイティブディレクション、TONERICO のインテリアデザイン、コマデンのエンジニアリングを束ねた建築規模のプロジェクトで、中村勇吾はそのなかで「時計」のアートディレクション・デザイン・プログラミングを担当した。音楽は高橋幸宏。光が空間そのものに時を告げるという構造は、《DROPCLOCK》における「文字の物質化」を一段階押し進め、「文字盤」をほぼ手放した時計 として記述できる。デジタル時計の表象的最小単位である「数字」さえも一部を光のリズムに溶かしており、ここから先の中村勇吾の時計は、文字盤への依存をどう外していくかをめぐる連作になる。

二〇一三年一〇月、資生堂の宣伝制作部とのコラボレーションで発表されたのが《LIFE COLOR CLOCK》である。ユーザーが自分の Facebook アルバムや Instagram のアカウントを連携すると、システムが毎分一枚の写真を選び、その写真から毎秒一色を抽出して画面に表示する。一分後には別の写真へ、また六〇色の色相が刻まれていく。スクリーンセーバーとしても動作した。SNS が普及途上の時代に「あなた自身の生活の写真が、あなたの時計の色になる」というロジックを、宣伝資材として量産すれば毎日変わってしまうコンセプトで成立させた点で——いま振り返ると——資生堂と中村勇吾の双方の選球眼が示された仕事である。ここで時計は、ついに「文字盤」を完全に放棄し、ユーザー個人のデータを色で表示する装置 になった。
文字盤を外す — 行為としての時間(二〇一二、二〇一五)
連作のなかで最も特異な位置にあるのが、二〇一二年九月、Ars Electronica Futurelab とのコラボレーションで発表された《Industrious Clock for the project "ZeitRaum"》である。ウィーン国際空港の新ターミナル(Check-In 3)の壁面に組み込まれた巨大なインスタレーションで、画面上では誰かの手が時刻の数字を書いては消し、書いては消す、その労働そのものを延々と続けている。一秒経つごとに数字が消されて新しい数字が書き直される。「時計が労働する」というアンチ・ミニマルなコンセプトを、空港というおそらく世界で最も「時間に追われる」場所の壁に常設する——その不協和こそが作品の含意である。クライアントの Ars Electronica Futurelab がこれをアートとして発注し、空港側が受け入れたという事実は、ヨーロッパにおける「空港の壁面=単なる時計」と「美術館の壁面=美術作品」の境界が、すでに曖昧化しつつあったことを物語る。中村勇吾の時計連作の中で、最も明確にアートとサイネージの境界を踏み越えた事例 がこの作品である。
二〇一五年三月の《BAO BAO CLOCK》(https://tha.jp/5177)はそれとはまた別の系譜にある。BAO BAO ISSEY MIYAKE のために制作された Web/モバイルアプリ版時計で、ブランド固有のプリーツ三角形のタイル意匠が、秒・分・時の単位ごとに再配列され、色を変え、新しい表面テクスチャをつくりながら時刻を構成する。デザインとプログラミングは高橋孔司、コーディングとエンジニアリングは外村圭祐、中村勇吾はアートディレクションを担当。音楽は岡村靖幸である。プロダクトの幾何学を時間構造に転写する という手つきは、《LIFE COLOR CLOCK》の「ユーザーの写真を色に変換する」発想と双子をなす。前者がブランド固有の意匠、後者が個人固有のメディアを、それぞれ時計の素材として使う。中村勇吾は同じ年代に、ブランド側と個人側の両方向で「文字盤を外した時計」の応用例を作っていたことになる。

街に出る時計 — 拠点化する装置(二〇二二〜二〇二三)
二〇二〇年代に入って、中村勇吾の時計は再び実空間に戻ってくる。しかし、戻り先は店舗のインスタレーションや空港の壁面ではなく、駅前と街区 だった。
二〇二二年五月の《GRANSTA CLOCK》(https://tha.jp/9400)は、東京駅構内の商業施設グランスタ東京のリニューアルにあわせて常設された。デザインとプログラミングは佐藤明日野、ディレクションとデザインが中村勇吾。同年の改装でグランスタ東京は駅ナカ最大規模の商業空間として全面開業し、その動線の象徴装置として時計が機能している。場所が「店舗」ではなく「日本最多の通過人口を持つ駅の構内」に移ったとき、時計はもはや「アート作品」と呼ばれるか「サイネージ」と呼ばれるかを問わない。通行人にとってそれは、ただ時刻を知らせるディスプレイ である。中村勇吾はそのうえで、自分の作家性をどこまで「読み取られないかたち」で実装するかを試している。

そして二〇二三年一〇月、《TORANOMON HILLS CLOCK》(https://tha.jp/9564)。バスキュールの星野雅義(クリエイティブディレクション)、馬場鑑平(クリエイティブディレクション/館内サイネージ連動)、JEMAPUR(音楽)、TYO Monster(空撮)を巻き込んだ大型プロジェクトで、中村勇吾は Design + Programming として参加している。仕様は前述のとおり、幅一七メートル × 高さ二メートルの大型 LED で、改札前の柱のディスプレイおよびアトリウムのビジョンとも連動し、毎時〇分に時報演出が走る。

ここで注目したいのは、TOKYO NODE のインタビュー記事に残された中村勇吾自身の言葉である。「映像やデジタルとなるとついいろいろな表現を詰め込んだ幕の内弁当みたいなものが生まれがち」だが、本作は「シンプルな表現に落ち着いた」と語っている。虎ノ門ヒルズという街区の象徴として、「ただの時計」であることを選ぶ——これは《DROPCLOCK》以来一五年かけて文字盤を解体してきた作家が、最後に「時計を時計に戻す」決断をした地点である。装置は虎ノ門ヒルズステーションタワーという、都心の新しい複合再開発の正面玄関に据え付けられた。森ビルが整備する街区にとって、これは時報装置であり、ランドマークであり、街そのもののリズム発生装置でもある。
編集視点 — 「時計」というフレームの強度
七作を並べて見えてくるのは、中村勇吾の作家性が「画面のなかの表現」に留まっていたわけではない、という事実である。Web で鍛えた時間表現が、店舗、空港、駅前、街区へと、解像度と規模を変えながら段階的に拡張していった ——という経路として、この一五年は読める。
時計という形式は、本連作のなかで複数の意味で道具化されている。第一に、インタラクション設計の最小単位 として。Web 黎明期の中村勇吾が手がけた数々の実験的サイトは、観客の入力に対して何かが応答する装置だったが、時計は観客の入力をひとまず脇に置き、「時間という外部入力に対して、表示が応答する」最も基本的なインタラクションだけを残す。第二に、ブランドや拠点のシグニチャ として。資生堂・イッセイミヤケ・ウィーン空港・東京駅・虎ノ門ヒルズ——いずれの場合も、時計はそのクライアントの意匠・場所性・運営思想を時間の関数として展示する。第三に、常設サイネージのフォーマット として。中村勇吾のキャリアにおいて、時計は単発の作品でありながら、同時に「常設運用に耐える表現の規格」を量産可能なフォーマットとして練り上げてきた素材でもある。
本誌の編集視点で言えば、《chroma actor》(Carsten Nicolai、二〇一五-二〇二六、本誌『色を翻訳する門』)、《Borrowed Landscapes》(Seo Hyojung、本誌『借景と点景のあいだ』)、Raven Kwok の生成的時計群と並んで、中村勇吾の時計連作は 「ジェネラティブ系譜による常設サイネージ作品」の東アジア発信 の一極を形成している。とりわけ虎ノ門ヒルズは、再開発によって新設された街区の正面口に作家委嘱の常設サイネージを据え付けた、近年では数少ない事例である。ここに「ただの時計に見える、しかし作家の最終形態としての時計」が置かれた事実は、サイネージとアートの境界の現在地を測る上で重要な点景である。
展望 — 点景としての常設時計
時計は単発の作品ではない。ある場所にリズムを点す装置 である。山水画における点景が、広漠とした山水の中にぽつぽつと人や舟を置くことで風景を生かしたように、街の中に置かれた時計は、その街区固有の時間のリズムを生成し、通過する人々に「いま、ここ」の感覚を返す。中村勇吾が一五年かけて手がけてきた七つの時計は、その一つひとつが点景である。同時に、《GRANSTA CLOCK》や《TORANOMON HILLS CLOCK》のような後期作は、「点景としての常設時計」を再現可能なフォーマット として確立しつつある。次に置かれる場所は、もう一つの駅前であるかもしれないし、別の街区の正面口であるかもしれない。街のあちこちに作家の手による時計が点景として立ち上がる未来は、十分に視野に入っている。
出典
- tha ltd.,DROPCLOCK @ ISSEY MIYAKE — THA LTD.(2009-10)
- tha ltd.,HIKARI NO TOKEI — THA LTD.(2010-10)
- tha ltd.,LIFE COLOR CLOCK — THA LTD.(2013-10)
- tha ltd.,Industrious Clock for the project "ZeitRaum" — THA LTD.(2012-09)
- tha ltd.,BAO BAO CLOCK — THA LTD.(2015-03)
- tha ltd.,GRANSTA CLOCK — THA LTD.(2022-05)
- tha ltd.,TORANOMON HILLS CLOCK — THA LTD.(2023-10)
- TOKYO NODE,虎ノ門の"顔"となる時計台をめざして — 「TORANOMON HILLS CLOCK」制作の裏側に迫る(2023-11)
- Bascule Inc.,Toranomon Hills Clock — Bascule Inc.
- Ars Electronica Futurelab,ZeitRaum — Ars Electronica Futurelab
- マイナビニュース,中村勇吾×資生堂、自分だけの色時計が制作できる「LIFE COLOR CLOCK」公開(2013-10)
- Issey Miyake London Ltd.,BAO BAO CLOCK is here!(2015-03)
- 日本デザインコミッティー,中村勇吾 — 日本デザインコミッティー