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Artists作家

画面を歩いてくる者 — Universal Everything と、表面に宿る一個の身体

The Figure That Walks Toward You: Universal Everything and the Body on the Screen

No.
130
種別
作家
著者
SCREENS LANDSCAPE 編集部
日付
読了
11分

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巨大な画面の上を、一体の身ぶりが歩いてくる。背景には何もない。地面の線も、空も、街並みもない。ただ均された光の野の上を、ひとつの形が一定の歩調でこちらへ向かって進み、近づくたびに体表の素材が入れ替わっていく——毛皮が、泡立つ液体が、ねじれた木が、結晶が、次々とその身を覆っては剥がれ落ちる。終わりは来ない。歩行は永遠に続く。画面の外に出ることもなければ、目的地に着くこともない。ただ歩き、変わり続ける一個の身体だけが、空白の表面に在る。

これは英国シェフィールドのデジタル・アート・スタジオ、Universal Everything(ユニバーサル・エブリシング)の代表作《Transfiguration》の光景である。本稿は、彼らの仕事を一貫して貫く「画面の上を歩く一個の身体」という主題を、サイネージや大型ディスプレイという表面の問題として読み解く試みである。表面に流れるのがデータの渦ではなく、ひとつの生き物のような身ぶりであるとき、街の画面はどう変わるのか。

ソウルのある技術

Universal Everything は2004年、Matt Pyke(マット・パイク)によってシェフィールドに設立された。3Dアニメーション、タッチスクリーン、モーションキャプチャ、大型映像ディスプレイ、複雑な音響設計——彼らが扱う媒体は幅広いが、その表現には一貫した志向がある。Pyke はそれを、抽象的なモーショングラフィックスとは異なる「魂の宿った技術」と呼ぶ。

それは単に抽象的なもの——動く映像や抽象的なテクノロジー——ではなく、魂の宿った技術なんです。

It's Nice That — Matt Pykesource

この言葉は、スタジオの作品が広く受け入れられる理由とも結びついている。Pyke によれば、作品のなかに「人」や「群衆」の姿が見えれば、専門知識のない通行人でもそこに人間性を感じ取れる。技術の誇示ではなく、技術を通して身体や生命の手ざわりを取り戻すこと——その態度が、彼らの画面を他のジェネラティブな映像表現から分けている。

ここに、本誌がこれまで扱ってきた「表面に流れるデータ」の系譜との明確な分岐点がある。建築の外皮に膨大なデータセットを流し込み、輪郭を持たない流体として可視化する手法(建築に夢を見させる — Refik Anadol とデータが流れるファサード)が、表面を一様に満たす「面」の表現だとすれば、Universal Everything が画面に置くのは、たいてい一個の——あるいは数えられる数の——身体である。面ではなく、点。流れではなく、歩行。

歩く建築

その主題が最初に強い輪郭を得たのが、2014年の《Walking City》だった。ハリウッドの視覚効果や物理シミュレーションに用いられるCGIソフトウェアで生成された一棟の建築が、画面の上をゆっくりと歩いていく映像作品である。建物は歩を進めるたびにかたちを変える。生体的な曲面に、幾何学的な格子に、うねる有機体に——絶えず変容しながら、それでも一個の「歩く建築」であり続ける。

fig.001《Walking City》(2014年)。1960年代の建築家集団 Archigram が構想した「歩く都市」を出発点に、CGIで生成された建築が画面上を歩き続ける映像彫刻。2014年の Prix Ars Electronica で Golden Nica(コンピュータ・アニメーション/VFX 部門)を受賞した。Walking City (2014). Departing from the 'Walking City' envisioned by the 1960s architecture collective Archigram, a CGI-generated structure walks endlessly across the screen. It won the Golden Nica (Computer Animation/VFX) at Prix Ars Electronica 2014.© Universal Everythingsource

題名と発想の源は、1960年代の建築家集団アーキグラム(Archigram)が構想した同名のユートピア、移動する巨大都市《Walking City》にある。脚を持ち、必要に応じて移動し、他の都市と接続しては離れる——実現しなかったその未来像を、Universal Everything は半世紀後に、計算機の上を歩く一個の彫刻として蘇らせた。作品は2014年のプリ・アルスエレクトロニカで、コンピュータ・アニメーション/VFX 部門の最高賞ゴールデン・ニカを受賞している。

重要なのは、これが「映像彫刻(video sculpture)」と呼ばれる点である。ループする尺の決まった映像ではなく、絶え間なく変容し続ける状態として設計されている。鑑賞者がいつ画面の前に立っても、同じ瞬間は二度と訪れない。建築が固定された容器であることをやめ、歩き、変わり続ける生き物になる——この一点に、スタジオの後年の仕事のほとんどが胚胎していた。

こちらを見る画面

歩く身体が、見る者と関係を結びはじめるのが、2019年の《Future You》である。ロンドンのバービカン・センターが企画した展覧会「AI: More than Human」(2019年5月16日–8月26日)のために委嘱された、インタラクティブなモーションキャプチャ作品だ。

fig.002《Future You》(2019年、バービカン・センター「AI: More than Human」)。鑑賞者の動きをモーションキャプチャで読み取り、画面のなかの身体がそれを学習しながら進化していく。生成されうる姿は47,000通りにのぼる。Future You (2019, Barbican Centre, 'AI: More than Human'). The figure on screen reads the viewer's movement via motion capture and evolves by learning from it, with 47,000 possible forms.© Universal Everythingsource

画面の前に誰も立っていないとき、それはただの原始的な形でしかない。だが人が前に立ち、身体を動かすと、画面のなかの形がその動きを読み取って学習し、しだいに洗練された——いわば「未来のあなた」とでも呼ぶべき、より敏捷で精緻な身体へと進化していく。動けば動くほど、画面のなかの応答は奇妙に、刺激的になる。生成されうる姿は47,000通りに及び、二人として同じ「未来の自分」と出会うことはない。この展覧会はバービカン史上でも有数の成功を収め、8万8千人を超える来場者を集めた。

ここで画面は、見せる対象から、こちらを見返し、応える主体へと反転する。鏡のように動きを映しながら、しかし鏡とは違って、その身体は鑑賞者の動きを素材に「育って」いく。表面に立つ一個の身体が、見る者の身体と一対一で向き合う——大型ディスプレイがしばしば一方向の掲出装置として使われることを思えば、これは画面という表面の用法そのものへの問い直しでもある。

永遠に歩く者

そして冒頭に戻る。スタジオの「歩く身体」という主題が最も純粋に結晶したのが《Transfiguration》である。原型となった《The Transfiguration》は2011年、パリのラ・ゲテ・リリック(La Gaîté Lyrique)で開かれたスタジオ初の大規模個展「Super-Computer Romantics」で発表された。2020年には、これを作り直した《Transfiguration》が公開されている。

fig.003《Transfiguration》(2020年)。空白の画面の上を一体の身体が歩き続け、一歩ごとに全身を覆う素材——毛皮、液体、木、結晶——が入れ替わっていく。終わりのない変容の歩行。Transfiguration (2020). A single body walks endlessly across an empty screen, its full-body covering — fur, liquid, wood, crystal — transforming with every step. An endless walk of metamorphosis.© Universal Everythingsource

画面のなかには、ただ一体の身体がいる。それは空白の上を一定の歩調で歩き続け、一歩進むごとに全身を覆う素材が入れ替わる。毛皮に覆われていた身体が、次の瞬間には泡立つ液体になり、やがて木目に、結晶に、別の何かに変わっていく。背景はない。物語もない。ただ歩行と変容だけが、終わりなく続いていく。

この作品が示すのは、Universal Everything の画面のもっとも純度の高い姿である。表面の上には、群衆も、データの渦も、説明の文字もない。たった一個の身体が、空白の野を横切っていく。それは抽象でも具象でもなく、生き物の手ざわりを持った「何か」が、ただそこを通っていく現れである。

表面に立つ一点

Universal Everything の仕事を、街の画面という視点から並べ直すと、ひとつの主題が浮かび上がる。彼らは、画面という表面に「一個の身体」を立たせることに賭けてきた、ということだ。歩く建築も、未来のあなたも、変容し続ける歩行者も、共通しているのは、それが面を一様に満たす流れではなく、空白を背景に立ち上がる数えられる存在だという点である。

ここで山水画の点景を思い出してもよい。広大な山水のなかに小さく描き込まれた人影や舟が、風景全体に尺度と意味を与えるように、空白の画面を横切る一個の身体は、その表面に「ここに生命がいる」という一点を点す。街なかの大型ディスプレイが、ともすれば情報を一方的に流し続ける面になりがちななかで、Universal Everything の画面は、見る者と同じ身体性を持った何かが、そこを歩いている、という関係を立ち上げる。

この身体が立つためには、背景の空白が要る。歩行を成立させる均された野、何も描かれていない余白——それは間(MA)として読むことができる。面を埋め尽くすのではなく、まず空白を空ける。その空けられた場所に、一個の身体が点として立ち、歩きはじめる。間が器を用意し、その上に点景としての身体が宿る。Universal Everything の画面は、この二つの動きが同時に起きている場所である。

スタジオの仕事は、美術館やギャラリーの内部にも、商業的な仕事にも広く及んでいる。ロンドン五輪2012の動画アイデンティティ、ヒュンダイのヴィジョン・ホールに設置された《Mobius Loop》、世界62チャンネルに展開したMTVのブランド・アイデンティティ——展示と商業のあいだを軽やかに往復しながら、彼らはどの画面の上にも、同じ「身体の手ざわり」を持ち込んできた。表面に何を立たせるか。流れか、それとも歩く一個の身体か。Universal Everything が選び続けてきたのは、いつも後者だった。

朝、誰もいない街の大型ディスプレイにふと目をやると、そこを一体の身体が歩いてくる——その小さな遭遇のために、彼らは画面の余白を空け続けている。

出典

  1. fig.001Walking City — Universal Everything
  2. fig.002Future You — Universal Everything
  3. fig.003Transfiguration (2020) — Universal Everything
  4. [4]Universal Everything — Wikipedia
  5. [5]“Technology with a soul in it”: A chat with Universal Everything founder Matt Pyke — It’s Nice That
  6. [6]AI: More than Human — Barbican
  7. [7]Walking City, da Archigram a Universal Everything. Il video vincitore di Ars Electronica 2014 — Artribune

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