天井に灯る銀河 — 香港 K11 MUSEA、美術館になった商業空間
A Galaxy Overhead: Hong Kong’s K11 MUSEA and the Mall Remade as Museum
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香港・尖沙咀の海沿い、ヴィクトリア・ドックサイドの再開発の中心に立つ K11 MUSEA に入り、吹き抜けの中央アトリウムで天井を見上げると、商業施設にいることをいっとき忘れる。三十五メートルの高さまで吹き抜けたこの空間は「Opera Theatre(オペラ・シアター)」と名づけられ、流れるような曲面が約一千百平方メートルの手叩きのアルミ板で覆われている。その曲面の枝のあいだに、約一千八百基のプログラム可能なスポットライトが埋め込まれ、明滅しながらゆっくりと天井を流れていく。照明設計を手がけた Speirs Major はこれを「脈打つ星々の銀河」と呼んだ。買い物客が行き交うフロアの真上に、人工の星空が常時点っている。
本誌がふだん追いかけてきたのは、街路の広告面にひらく数分間の空隙や、ファサードに点る一枚の画——都市の風景に外側から立ち上がる「点景」だった。K11 が示すのは、その反対側の実装である。アートは街路にではなく、商業空間の内側に常駐する。売り場と展示室の境界そのものを溶かし、消費の動線のなかにアートの瞬間を点していく。創設者 Adrian Cheng(鄭志剛)が「カルチュラル・コマース(cultural commerce)」と呼ぶこの方式は、アジアにおける「リテール × 現代美術」の、最も体系化された運営例である。
モールのなかに美術館を — 系譜
K11 を理解するには、商業床の歴史からではなく、一人の収集家の構想から入る方がはやい。Adrian Cheng は香港の不動産大手 New World Development の創業家に生まれ、2008年に自らのブランドとして K11 を立ち上げた。翌2009年、香港・尖沙咀に最初の「K11 Art Mall」を開く。世界初を称する「アートモール」——美術館でも画廊でもなく、商業モールの内部に常設のアート空間と展示プログラムを組み込んだ施設だった。2013年には上海にも K11 を開業する。
決定的な瞬間は2014年春の上海に訪れた。モール内の chi K11 art museum が、パリのマルモッタン・モネ美術館から借り受けた四十点のモネ作品を中心に、ベルト・モリゾやルノワールを加えた印象派展を開いたのである(会期は三月八日から六月十五日)。中国本土で初めて本格的なモネ展が、美術館ではなく商業施設の地下で開かれ、連日の行列を生んだ。「美術館に行く」ではなく「モールに行ったら美術があった」という経験を、都市の大衆に対して成立させたこの一点が、カルチュラル・コマースという仮説の実証になった。
この商業と並走するかたちで、Cheng は2010年に K11 Art Foundation(KAF)を設立している。中国で初めての非営利・非国営のアート財団を名乗り、中国およびアジアの現代美術を国際的に押し上げることを目的に掲げた。財団は香港・上海に展示空間を持ち、武漢にレジデンスを構え、これまでに六十を超える展覧会を編成してきた。重要なのは、この財団が商業施設のテナント収益と切り離された別主体として動きながら、その展示が並ぶ場所は K11 の商業床である、という二重構造だ。営利の器と非営利の中身が、同じ建物のなかで分業しながら同居している。
一〇〇の創造力 — ヴィクトリア・ドックサイドと K11 MUSEA
カルチュラル・コマースが最大規模で結晶したのが、2019年八月に開業した旗艦 K11 MUSEA である。施設名は、ギリシャ神話の文芸の女神ミューズと「A Muse by the Sea(海辺のミューズ)」をかけたものだという。総工費約二十六億米ドルとされる New World Development のヴィクトリア・ドックサイド再開発の、十年がかりの締めくくりにあたる。
設計は単独の建築家ではなく、Adrian Cheng が「一〇〇の創造力(100 Creative Powers)」と呼ぶ建築家・デザイナー・作家の連合体によって担われた。全体統括は Kohn Pedersen Fox(KPF、デザインリードは Forth Bagley)、実施は香港の Ronald Lu & Partners、ランドスケープと七階の「Bohemian Garden」は James Corner Field Operations。冒頭の Opera Theatre のアルミ曲面は、地元の職人と LAAB Architects の協働による。延床は約十一万一千平方メートルに及び、屋内外あわせて五万平方フィートを超える壁面緑化と、アジア最大級の MoMA Design Store を抱える。
screens(画面)とlight(光)の観点から見ると、この建物には二つの装置が埋め込まれている。ひとつが、冒頭に触れた Opera Theatre の約一千八百基のスポットライト群——天井そのものを、上映面を持たない巨大な光のインスタレーションに変えている。もうひとつが、地下の Sunken Plaza(サンクン・プラザ)だ。円錐状のガラスパネル、プログラム制御された水の模様、ミストの演出に加え、約二十五フィートの LED スクリーンが据えられ、映画祭やライブイベントの会場として機能する。広告面ではなく、催しのための画面。商業施設のスクリーンを、最初から「上映装置」として設計に組み込んだ事例である。
商業の「間」に点される美術
K11 の方式を、本誌の語彙で読み直してみる。「間(MA)」とは、空間や時間を空ける働きのことだ。CIRCA のような街路型のプロジェクト(/ja/circa-global-midnight)が、広告の連続したシーケンスのなかに毎晩三分の「間」を開け、そこに月替わりの作品を「点景」として点すのに対して、K11 が開けるのは時間の間ではなく空間の間である。消費の動線という、本来であれば隙間なく商品で埋め尽くされるべき床面のなかに、展示室や中庭やアトリウムという空白を意図的に挿入し、そこにアートを置く。買い物と買い物のあいだに、美術の瞬間がぽつりと立ち上がる。
この設計には、街路の点景にはない強さと弱さが同時にある。強さは、永続性だ。広告枠の譲渡に依存する街路型のプロジェクトは、オペレーターとの協定が切れれば消える。K11 のアートは、不動産そのものに組み込まれているため、建物が建っているかぎり常駐する。商業の経済力に依存するのではなく、商業の経済力を内側から使ってアートを自走させる——KAF が政府助成に頼らず、テナント収益という持続的な原資の上で六十を超える展覧会を回してこられたのは、この構造ゆえである。
弱さは、その裏返しにある。アートが不動産の付加価値装置として機能してしまう危うさだ。「美術館になった商業空間」は、見方を変えれば「商業空間に取り込まれた美術館」でもある。Opera Theatre の星空も、Sunken Plaza の画面も、最終的には来館者の滞在時間とテナント売上を押し上げる装置として説明できてしまう。点景が風景に意味を点すのではなく、点景が地価を点す方向へ働くとき、それははたしてアートの常駐なのか、それともアートを纏った商業なのか。この問いは K11 という事例の核心にあり、簡単には片付かない。Cheng 自身は、両者は対立するものではなく、現代美術を大衆の日常へ届ける最良の経路こそが商業だと一貫して論じてきた。
海辺のミューズの射程
K11 Art Foundation が結んできた提携先を並べると、この事例が一商業施設の話に留まらないことがわかる。パリのパレ・ド・トーキョーとポンピドゥー・センター、ニューヨークのメトロポリタン美術館・ニューミュージアム、ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーとロイヤル・アカデミー——欧米の主要機関が、中国・アジアの現代美術にアクセスする窓口のひとつとして、モールから生まれた財団と組んできた。商業施設を母体とする組織が、国際的な美術制度のネットワークに正面から接続しているという事実は、それ自体が二十一世紀のアジアにおける美術の流通図を書き換えている。
「美術館に行く」という能動的な選択を前提にしないこと。買い物に来た人、待ち合わせに来た人、ただ涼みに来た人の動線のなかに、避けようもなく美術を置いてしまうこと。K11 が賭けているのは、鑑賞の敷居を下げるという以上に、鑑賞という行為の発生条件そのものを商業空間の側へずらすことだ。山水画のなかの小さな人物や舟がそうであるように、点景は風景の主役ではない。だが、それが置かれることで、風景は意味と方角を得る。海辺のミューズが問うているのは、その点景を商業の風景のなかに常駐させたとき、街の日常はどう変わるのか——という、まだ答えの出ていない実験の行方である。
出典
- MUSE ROOMS: Explore Art & Design Dreamlands at K11 MUSEA — K11 MUSEA (YouTube)
- K11 Konversations: WOAW Gallery — Breaking the Frontiers of Art — K11 MUSEA (YouTube)
- Adrian Cheng & Carine Roitfeld on Craft and Couture at K11 MUSEA — K11 MUSEA (YouTube)(2021-10)
- RCA Vice-Chancellor’s Talks: Adrian Cheng — Royal College of Art (YouTube)(2021-07)
- New Flagship Museum-Retail Complex “K11 MUSEA” Announced; Opens in Q3 2019 — K11 (Press Release)(2019)
- K11 MUSEA / KPF + RLP — ArchDaily(2019)
- Victoria Dockside — Kohn Pedersen Fox (KPF)
- Living wall cascades down K11 Musea shopping centre in Hong Kong — Dezeen(2019-10)
- Monet Masterpieces to be Exhibited in China — K11(2014)
- K11 Art Foundation — Wikipedia
- Adrian Cheng — Wikipedia
- Victoria Dockside — Wikipedia
運用カルテ
- K11 Group / New World Development(香港。創設者 Adrian Cheng)
- 香港、上海
- 企業文化事業 — 商業施設(K11 Art Mall / K11 MUSEA)に、非営利の K11 Art Foundation(2010年設立)が編成する展示・教育プログラムを常設で組み込む「カルチュラル・コマース」モデル
- 財団による委嘱・国際機関との共同制作・レジデンス(武漢)。商業床のテナント収益が施設を自走させる
- 常設(通年運営)。館内ギャラリー・アトリウム・地下プラザで企画展を会期制で入れ替える
- 延床約111,483㎡。35m吹き抜けの Opera Theatre(約1,115㎡の手叩きアルミ板+約1,800基のプログラム可能スポットライト/Speirs Major)、地下 Sunken Plaza の約25フィート LED、屋内外5万平方フィート超の壁面緑化
- 2009
- 稼働中