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都市の通りすがりを壁に編む — JR《The Chronicles of San Francisco》、SFMOMA

Weaving a City's Passersby into a Wall: JR's The Chronicles of San Francisco at SFMOMA

No.
136
種別
事例
著者
SCREENS LANDSCAPE 編集部
日付
読了
11分

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サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)のハワード・ストリート側、入場料のかからない一階のロビーに、全長107フィート——およそ32.6メートルの曲面スクリーンがある。二枚の巨大なLED面が、ゆるやかな凹曲線で接ぎ合わされ、訪れた者を半ば包み込むように立つ。そこに流れているのは商品でもロゴでもブランドメッセージでもない。スイマー、聖歌隊の男たち、路上で暮らす人、赤ん坊を取り上げる産科医——サンフランシスコの街を歩いていた、ごく普通の市民たちの姿が、横へ横へとゆっくりスクロールしていく。フランスの作家JRが2019年に公開した《The Chronicles of San Francisco》である。

本誌がふだん追いかけてきたのは、通りの広告面にひらく数分間の空隙であり、ファサードに点る一枚の画だった。商業のために据えられた街路のスクリーンが、短いあいだだけ別の論理に明け渡される瞬間を、私たちは「点景」と呼んできた。JRの壁画は、その問いを裏側から照らす。ここでは広告とほぼ同じ解像度のLEDが、最初から市民の肖像を映すために据えられている。広告の画素で、通りすがりの一人ひとりを描く——そういう装置である。

fig.001《The Chronicles of San Francisco》予告編。市内各地で撮影された市民の肖像が、一枚の横長の壁画として接ぎ合わされていく。Teaser for The Chronicles of San Francisco: portraits gathered across the city, stitched into one long horizontal mural.© JR / JR-art.netsource

貼る人 — JRの系譜

JRは1983年にフランスで生まれた。出発点はストリートのグラフィティで、地下鉄やパリ郊外の壁にタグを描く十代の少年だった。やがて拾ったカメラで街と人を撮りはじめ、撮った肖像を巨大に引き伸ばして建物の壁や屋根に貼る、という方法にたどり着く。美術館やギャラリーの白い壁ではなく、人が生活する街路の壁面そのものを発表の場とする作家である。

その手法を世界規模の参加型プロジェクトへと展開したのが《Women Are Heroes》であり、誰もが自分の肖像を出品できる《Inside Out》だった。後者では、世界中の人々が自分の顔写真を送るとポスターサイズのプリントが返送され、それを各地の参加者が自分の街の壁に貼る。匿名の市民の顔を、公共空間に等身大以上の大きさで掲げること——これがJRの一貫した主題である。広告が商品とスターのための場所だとすれば、JRはそこに「名もない人の顔」を割り込ませてきた。

《The Chronicles of San Francisco》は、この系譜のうえに置かれている。SFMOMAによれば、JRはこの作品を、サンフランシスコに残るディエゴ・リベラの壁画から着想して構想した。リベラが20世紀前半に描いた巨大な壁画は、労働者や市井の人々を画面いっぱいに敷き詰め、ひとつの社会の断面を一枚に圧縮するものだった。JRはその「社会の断面図」という壁画の発想を、絵筆ではなく写真とLEDで、しかも市民自身を被写体として再構築した。SFMOMAでの発表は、JRにとってサンフランシスコでの最初の大規模インスタレーションでもあった。

通りすがりを撮る — 制作の方法

制作は2019年の公開に先立ち、2018年の初頭、約二か月をかけて行われた。JRはサンフランシスコ市内の22か所に移動式の撮影スタジオを設け、そこを通りかかった人々に声をかけ、1,200人近くを撮影・録画し、その声を録音した。被写体は事前に選ばれた著名人ではない。スイマー、サンフランシスコ・ゲイ・メンズ・コーラスのメンバー、路上で暮らす人々、赤ん坊の誕生を再演する産科医——その場に居合わせた、あらゆるコミュニティの市民たちである。

ここで決定的なのは、撮影の条件が全員に対して等しく揃えられていたことだ。SFMOMAの記述によれば、壁画に登場する人々は「その場所を、その瞬間に通りかかった人々」であり、すべての被写体が同じ大きさ、同じ光のもとで捉えられている。市長も路上生活者も、子どもも老人も、画面のなかでは同じ寸法で立つ。誰かが大きく、誰かが小さく映ることはない。肖像のあいだに序列を作らないというこの規則こそが、《The Chronicles of San Francisco》を単なる群像写真の集積から、ひとつの社会像へと変えている。

fig.002制作の舞台裏。移動式スタジオで見ず知らずの市民に声をかけ、撮影し、語りを録音していく過程。Behind the scenes: approaching strangers at the mobile studio, filming them and recording what they wished to say.© JR / JR-art.netsource

撮影された一人ひとりは、最終的に一枚の横長の壁画へと縫い合わされる。背景は街路や公園や水辺へと連続的につながり、別々の場所で撮られた人々が、あたかも同じ一日の同じ風景のなかに居合わせたかのように配置される。実際にはばらばらの時刻と場所で出会った市民たちが、画面のうえで一つの都市の断面として再編集されるのである。

美術館のLEDという装置

この壁画を支えているのは、本来は屋外の大型ビジョンや商業施設のサイネージに使われる種類のLED技術である。設計資料によれば、ディスプレイはSNA Displays製で、画素ピッチは2.5mm、総画素数はおよそ2,600万に達する。公開当時、米国内で最も高解像度のLEDスクリーンのひとつと評された。物理的には全長107フィート(約32.6メートル)、面積はおよそ1,748平方フィート。二枚のLED面は平らに並べられているのではなく、ゆるやかに凹んだ曲面で接続されている。技術統合を担ったSensory Interactiveによれば、この曲面は鑑賞者を空間の内側へ引き込み、動く映像に包まれる感覚を最大化するために選ばれた。

設置されたのはSFMOMAのロバーツ・ファミリー・ギャラリー、一階の無料公開エリアである。チケットを買って美術館の上階に上がらなくても、ハワード・ストリートから入った誰もが、この壁画の前に立てる。美術館の「展示」が、入場ゲートの外側、街路と地続きの場所に置かれているということだ。

壁画そのものは映像だが、市民たちの声は別の層に格納されている。ギャラリーにはサウンドスケープが流れ、さらに専用の無料アプリ「JR:murals」を使うと、スマートフォンを壁画のなかの誰かに向けることで、その人物が録音時に語った言葉を聴くことができる。1,200人近い肖像のそれぞれが、見る者が望めば声を取り戻す。視覚としては全員が等しく並びながら、聴覚の層では一人ひとりが固有の物語を持つ——この二重構造が、群像を匿名の壁紙にしてしまうことを防いでいる。

fig.003JR自身が《The Chronicles of San Francisco》について語るSFMOMA公式映像。見ず知らずの相手に声をかけ、その肖像と語りを集めるとはどういうことかが述べられる。SFMOMA’s film of JR discussing the work — what it means to approach strangers and gather their portraits and words.© San Francisco Museum of Modern Art (SFMOMA)source

序列のない画面

広告とほぼ同じ解像度のLEDに、商品でもスターでもなく、通りすがりの市民を映す。この一点に、《The Chronicles of San Francisco》の批評的な核がある。

街路の大型スクリーンは、ふだん明確な序列の装置として働いている。最も高い料金を払った広告主が最も大きく、最も長く映る。映る顔は選ばれた顔——タレント、モデル、ブランドの象徴である。スクリーンの解像度と輝度は、その「選ばれた像」をできるだけ強く、できるだけ遠くまで届けるために投じられる。JRが行ったのは、その同じ技術的水準を保ったまま、映る対象だけを丸ごと入れ替えることだった。全員を同じ大きさ、同じ光で。料金も知名度も介在しない画面の前では、誰の顔も等価である。

ここで「間」と「点景」という対概念が手がかりになる。山水画において点景とは、広大な風景のなかにぽつりと置かれた人物や舟のことだ。それは風景の主役ではないが、その小さな存在があることで、山や水に尺度と気配が生まれる。《The Chronicles of San Francisco》の一人ひとりの市民は、まさにこの意味での点景である。誰も都市の主役ではない。けれども、その一人ひとりが画面に点されることで、サンフランシスコという街の大きさと多様さが立ち上がる。JRはこの壁画で、点景を1,200近く集めることで、一枚の都市像そのものを描いた。

そして横へとスクロールしていく構図は、西洋の一点透視的な絵画ではなく、視点が移動し時間が併存する絵巻物の論理に近い。観客は壁画の前を歩きながら、次々に現れる市民の前を通り過ぎていく。固定された一枚の絵を見るのではなく、画面のなかを旅する。撮影のときに街路を通りすがった市民たちの前を、今度は鑑賞者が通りすがっていく——撮る側と見る側の立場が、画面の前で静かに反転する。

美術館が大型LEDを編集するということ

公共美術館が、建築規模のLEDを自ら編集して運用する事例は、世界各地で現れている。香港のM+は、ヴィクトリア湾に面した建築外装のファサードを美術館自身のキュレーションで運用しており(M+ ファサードの回)、シンガポールのArtScience Museumは、商業施設のロビースクリーンを毎時の展示装置として編成している(ArtScience Museumの回)。これらに共通するのは、広告のために発達してきた大型ディスプレイ技術を、美術館が「展示空間」として読み替えている点である。

そのなかで《The Chronicles of San Francisco》が独特なのは、編集の対象が著名な作家の映像作品ではなく、市民そのものだったことだ。M+のファサードが湾の対岸の都市全体に向けて開かれ、ArtScience Museumのロビースクリーンが施設を訪れる人々を迎えるのに対し、SFMOMAの壁画は、その街に暮らす人々を撮り、その街の人々に向けて映した。被写体と観客が同じ都市の住民であり、しばしば同一人物でさえありうる——市民が自分やとなりの誰かを、美術館の壁のうえに見出す。

街路のスクリーンが市民を「見られる対象」として消費するのではなく、市民の側が画面に編集されて街の自画像になる。約一年で会期を終えたこの壁画は、街のスクリーンに何を映すべきかという問いに対する、ひとつの明快な答えとして記録されている。広告の解像度は、通りすがりの一人ひとりを描くためにも使える。点景は、誰かが点してやらなければ、画面には現れない。

出典

  1. fig.001The Chronicles of San Francisco — Teaser | JR (official)(2019)
  2. fig.002Behind the Scenes of The Chronicles of San Francisco | JR (official)(2018)
  3. fig.003JR on The Chronicles of San Francisco | SFMOMA(2019)
  4. [4]JR: The Chronicles of San Francisco — Exhibition | SFMOMA
  5. [5]THE CHRONICLES OF SAN FRANCISCO | JR-art.net
  6. [6]San Francisco Museum of Modern Art (SFMOMA) — The Chronicles of San Francisco | SEGD (technical case study)

運用カルテ

運営主体
San Francisco Museum of Modern Art(SFMOMA)× JR Studio
掲出地
サンフランシスコ
編成モデル
美術館委嘱 — 美術館の無料公開ロビーへの委嘱インスタレーション。制作支援は Lynne and Marc Benioff ほか個人寄付者
作家への対価
美術館委嘱(寄付者支援)。関連書籍『JR: The Chronicles of San Francisco』を SFMOMA から刊行
稼働リズム
約1年の常設(2019年5月23日公開)。ループ再生される単一のデジタル壁画
物理仕様
全長107フィート(約32.6m)の曲面LEDウォール。SNA Displays 製、画素ピッチ2.5mm、約2,600万画素。二面を凹曲面で接続。被写体1,200人近く、市内22か所で撮影
運用開始
2019-05
稼働状態
終了

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