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Cases事例

ヴィクトリア湾を渡るスクリーン — M+ ファサードと美術館のキュレーション運用

A Screen Across Victoria Harbour: The M+ Facade as Curated Museum Display

No.
110
種別
事例
著者
SCREENS LANDSCAPE 編集部
日付
読了
12分

この記事は、AIが企画・編集・公開を行なっています。情報に誤りが含まれる可能性があります。情報の修正・埋め込みの削除を希望される場合はこちらの手続きをご覧ください。

香港島側、中環(セントラル)のフェリーターミナルから北を向くと、ヴィクトリア湾の対岸に、横に長い建物の南面が一枚の面として立ち上がっている。日没後、その面は不意に薄い色を帯び、しばらくすると、ゆっくりとした動きの映像が水平に流れ始める。約 1.5km 離れた地点からでも、視野の中で意味のある画として認識できるサイズ感である。22時を回ると、面は静かに消える。香港の屋外照明規制(Charter on External Lighting)に従って、M+ のファサードは毎晩そこで一日を終える。

香港の西九龍文化区(West Kowloon Cultural District、WKCD)に立つ視覚文化美術館 M+ が、開館から間もない 2022 年初頭から運用している「M+ ファサード」は、世界最大級の建築統合型 LED 面である。広告でも興行でもなく、美術館がキュレーションする moving image を映すために設計され、運用されている。商業 DOOH や巨大エンターテインメント施設の文脈で論じられがちな「都市スクリーン」を、公共美術館の編集物として読むときの基準点が、いま香港の対岸に置かれている。

fig.001M+ Facade Showreel 2023。湾の対岸から見える 65 × 110 メートルの面に、年間プログラムから抜粋された moving image が流れる。映像のリズムは、湾を挟んだ観客の視野で図像が判別できるサイズと速度に合わせて編集されている。M+ Facade Showreel 2023. Moving image excerpted from the year's commissions, paced and scaled for an audience reading the work from across Victoria Harbour.© M+, Hong Kongsource

建築の表面を編集面にする

M+ は 2021 年 11 月に開館した。設計は Herzog & de Meuron(リード)に TFP Farrells(香港)と Arup(構造・設備、香港)が加わるチーム編成で、競技は 2012–2013 年、施工は 2013–2020 年に及んだ。クライアントは香港政府の主導する西九龍文化区管理局(West Kowloon Cultural District Authority、WKCDA)。延床 9.2 万平方メートル、高さ 94 メートル、平面は 130 × 111 メートルの巨体である。

南面のファサードは、構造躯体の外装そのものに LED を埋め込んでつくられた。Herzog & de Meuron 自身がこのプロジェクトについて記述している言い方を借りれば、「LED 照明システムが、建物を粗い目をもつ巨大なディスプレイ・スクリーンとして起動させている」[fig.002]。要点は二つある。ひとつは、ディスプレイが外装の上に「貼り付けられている」のではなく、外装が最初からディスプレイとして設計されていること。もうひとつは、その粒度が、近距離での解像の精細さよりも、遠距離での視認性のほうへ振られていることである。

物理仕様を確認しておく。発光面は 65 メートル × 110 メートル、約 7,100 平方メートル。水平に走る LED の列が 118 本、各列に 2,816 個分のピクセル位置が並ぶ。コンテンツが制作される際の仮想解像度は 2,816 × 1,686 ピクセルだが、物理的に発光している実体は 2,816 × 118 ピクセルの細長い面である。視野で読まれるとき、観客の眼の側で残像と慣性が垂直方向の解像不足を補い、合わせて 2,816 × 1,686 の図像として知覚される。

LED の本数は 5,600 を超える。種類は二つで、ひとつは指向性の高い高出力 LED(対岸からの視認用、各列 716 個)、もうひとつは拡散性の高い低出力 LED(美術館屋上のポディウム側から至近距離で見るための照度設計、各列 2,100 個)。光センサーが周辺の環境光を実時間で計測し、明度と色温度を自動で校正する。香港島側の夜景と並んで「黒い建築面の中にひとつだけ動く明るい長方形」になりすぎないよう、湾全体の輝度の中に溶け込むよう設計されている。

美術館がキュレーションする画面

ファサードの番組編成は、四つの系統で組まれている。委嘱新作の Facade Commissions、コレクションに収蔵された moving image を画面のフォーマットに合わせて再編集する Moving Image Collection、テーマを与えてコレクションから複数作品を組み合わせる M+ Collections Highlights、特定の機会に組む Special Screenings。番組は WKCDA の傘下にある M+ のキュレーター陣によって編成され、商業広告は流れない。

委嘱作品の系譜を、開館後の数年に絞って並べると、この画面が美術館の編集物であるという事実の手触りが見えてくる。

  • 2022 年 1 月、Studio Moniker《Touch for Luck》。M+ にとって最初のデジタル委嘱作品であり、観客がスマートフォンから巨大スクリーン上の魚の群れに触れることのできる、インタラクティブな作品として発表された。
  • 2022 年 5 月、香港のメディアアート先駆者 Ellen Pau《The Shape of Light》。般若心経を香港式手話に翻訳した瞑想的な作品。
  • 2022 年夏から 2023 年春、Nalini Malani《In Search of Vanished Blood》(初回 2022 年 8 月、2023 年 2–3 月に再放映)。インド出身の作家による、暴力と記憶を主題とするドローイング・アニメーション。
  • 2024 年初頭、Sarah Morris《ETC》。M+ と香港の現代美術センター Tai Kwun Contemporary の 共同委嘱で、香港の都市像を主題とする長尺の映像作品。
  • 2024 年、Yang Fudong《Sparrow on the Sea》。M+ と Art Basel の 共同委嘱、UBS のプレゼンティングで実現。Art Basel との協働委嘱の系列はこの年で四年目を迎える。
  • 2025 年春、Ho Tzu Nyen《Night Charades》。Art Basel × M+ × UBS の協働委嘱で、AI で生成されたキャラクターが香港映画黄金期(Wong Kar-wai、John Woo、Tsui Hark らの語彙)を「無声のパントマイム」として再演する作品[fig.003]
  • 2025 年、Zhou Tao《Jade Jadeite》。珠江流域のコミュニティを水路で結ぶ流動的なモンタージュ。
  • 2025 年 7 月から秋、再演 2026 年初頭、Greg Girard《HK:PM》。1970 年代から 90 年代の香港夜景をアナログ写真から起こし、九龍城砦と中環の街路を交互に展開する作品[fig.004]
  • 2025 年 10 月から年末、Ayoung Kim《Dancer in the Mirror Field》。M+ とシドニーの Powerhouse の共同委嘱、Julius Baer のプレゼンティング。M+ がオーストラリアの美術館と委嘱を分け合った最初の事例である。
  • 2026 年 3 月から初夏、Shahzia Sikander《3 to 12 Nautical Miles》。M+ × Art Basel の共同委嘱で、英東インド会社・ムガル帝国・清朝の交易関係を、手描きのアニメーションでたどる作品。
fig.003Ho Tzu Nyen《Night Charades》(2025) がファサードに出ている夜の記録。AI が生成した俳優のジェスチャー連鎖が、香港映画の身体記憶を「文字を持たない paraphrase」として遅速で繰り返す。Night by Ho Tzu Nyen's <em>Night Charades</em> (2025). AI-generated actors loop the gestures of Hong Kong cinema as a slow, voiceless paraphrase.© M+, Hong Kongsource

この系譜には、いくつかの編集判断が透けて見える。第一に、moving image の文法を持つ作家がほぼ例外なく選ばれている — 既存映像をそのまま縦長 / 横長に切るのではなく、ファサードの 2,816 × 1,686(物理 118 行)というアスペクトに 個別に応答するかたちで制作するよう委嘱されている。第二に、香港・大陸中国・東南アジア・南アジアの作家を中心軸に据えながら、Sarah Morris(英)や Shahzia Sikander(パキスタン系米)など、アジア圏との関係を主題化できる外部作家を時折組み入れている。第三に、Art Basel・Tai Kwun・Powerhouse(シドニー)・UBS・Julius Baer といった外部のアートフェア・美術館・スポンサーと 共同委嘱の体制を組み、単独運用では難しい年複数本のペースを可能にしている。

Art Basel × M+ × UBS のような商業ブランドが介在する共同委嘱は、別の文脈で論じられがちな「広告クライアントが画面を買う」モデルとは構造が違う。委嘱者は画面の編集権を握っておらず、作品の選定は M+ のキュレーターが行う。スポンサー名は会場のクレジット・プレスリリース・出版物に現れるが、画面の中に商標が映ることはない。建築の外装そのものが画面である以上、ここで広告を流せば建物全体が広告塔として読まれてしまうことを、運用主体は自覚している。

「街路の興行」と「美術館の編集」のあいだ

M+ ファサードを、世界スケールの大型 LED 都市スクリーンの地図の中に置いてみる。比較対象として頻繁に登場するのは、Las Vegas Sphere(2023 年開業、外周 LED の Exosphere を含む球体)と、Outernet London(2022 年開業、トッテナム・コート・ロード駅至近の没入空間)。両者は商業興行ベースで、コンサートやスポーツの収益、リテール集客、広告掲出を主たる経済モデルとする。アーティストの委嘱作も流れるが、その編成は興行カレンダーの隙間に挟まれている。

M+ ファサードは、これら興行のスクリーンと同じスケール領域に立ちながら、運用の経済モデルが反対側にある。スポンサーは共同委嘱に名を連ねるが、画面そのものは美術館のキュレーション編成に従属する。番組編成のリズムは、興行カレンダーではなく 展覧会のリズムで組まれている。Facade Commissions の一つの作品が画面を占めるのは数ヶ月、ときに半年。Moving Image Collection の編成は、館内展示や香港国際映画祭、Art Basel Hong Kong の会期と接続される。

過去にこの編成モデルに近い前例を辿ると、北米には SFMOMA が 2019–2020 年に運用した約 32.6m の曲面 LED ウォール(JR《The Chronicles of San Francisco》のために用意され、約一年で終了)が記録に残っている[fig.005]。シンガポールでは ArtScience Museum が "ArtScience Interlude" の枠で外壁とロビーの大型 LED に moving image を流してきた。日本では Yebizo(恵比寿映像祭)の屋外シビック・スクリーン編成がアジアでもっとも近いリズムを持つ — もっとも、日本の場合は単独美術館による常設運用ではなく、フェスティバル期間中の市街地スクリーン群との協働編成という別の形態である。

このように並べると、M+ ファサードの位置がはっきりする。これは 常設で、公共美術館単独運用で、建築の外装そのものが画面で、しかも世界のスケールでは最大級、という四条件が同時に成立する事例として、現時点で他に類例を見ない。SFMOMA の事例は一年で終わった。Sphere や Outernet は建築面というより、興行施設に組み込まれた巨大画面である。M+ ファサードだけが、美術館がスクリーンを 建物のかたちとして持ってしまった結果として運用されている。

fig.004Greg Girard《HK:PM》(2025) のファサード上映。1970 〜 90 年代のアナログ写真から起こされた香港夜景のスティルが、湾の現在の夜景の上に重ねて投影される。観客は対岸の眼で、二つの香港の夜を同時に見ている。Greg Girard's <em>HK:PM</em> (2025) on the M+ Facade. Stills from 1970s–90s Hong Kong, layered onto the harbour's present night skyline — the audience reads two Hong Kong nights at once, across the water.© M+, Hong Kongsource

観客との距離をデザインする

最後に、この画面が観客とどのように距離をとっているかを記録しておきたい。M+ ファサードは「画面に近づいて見る」ことができない作りである。物理的には屋上のポディウムから至近距離で低出力 LED の側を見ることができるが、構造上、画面の全体像は 湾の対岸からしか把握できない。最良の視聴位置は、香港島側のフェリー、海岸プロムナード、IFC 周辺の高層階、ピークから北を見たときの夜景の中。観客は画面までの 1.5km の距離を 必ず通過することになる。

この距離は二つのことを編集している。ひとつは、画面の上の細部を「見せない」こと — 観客が読めるのは、面全体の動きと色とリズムだけになる。Moniker の魚の群れも、Sikander の手描きアニメも、Greg Girard の夜景写真も、香港の海風と湾の音と、湾を渡るスター・フェリーのライトとの 合奏として読まれる。もうひとつは、画面を都市の風景の 一部に組み込んでしまうこと。観客はファサードの前に立ち止まる必要がなく、湾沿いの散歩や夜の食事のついでに、視野の隅で M+ の今夜の番組を確認することになる。

これは「興行スクリーンに集中する観客」とも、「ギャラリーの暗い箱に閉じ込められた観客」とも違う、第三の関係である。M+ は美術館の外装に画面を持つことで、観客と作品の出会いを 館の外側に持ち出した。そして観客は、いつもの夜景を見上げる途中で、図像と数分間ばかり目を合わせる。

街路の風景の中に小さく立ち上がる図像 — それは「点景」という言葉が指している、まさにそのものだろう。湾を挟んで観客と画面の関係を仕立てたという点で、M+ ファサードは現代美術館による都市スクリーン運用の、現在もっとも完成度の高い事例として記録できる。次に何が出てくるかは、2026 年 3 月の Sikander から続く委嘱の系譜が引き続き示すことになる。

出典

  1. fig.001M+ Facade — M+
  2. fig.002415 M+ — Herzog & de Meuron
  3. fig.003M+ Facade unveils "Ho Tzu Nyen: Night Charades" — M+ Press
  4. fig.004HK:PM — M+ Facade
  5. fig.005JR: The Chronicles of San Francisco — SFMOMA
  6. fig.006M+ announces 2025 Exhibition, Cinema and Facade Programmes — M+ Press
  7. fig.0073 to 12 Nautical Miles — M+ Facade
  8. fig.008M+ Facade 2021 — Media Architecture Biennale

運用カルテ

運営主体
M+(西九龍文化区管理局 WKCDA 傘下)
掲出地
香港
編成モデル
美術館委嘱 — Facade Commissions ほか4系統で編成。Art Basel・UBS 等との共同委嘱体制、商業広告は流さない
作家への対価
委嘱制作(ファサードのフォーマットに個別に応答する新作)
稼働リズム
毎晩、日没後〜22時(香港の屋外照明憲章に従う)。1作品が数ヶ月〜半年占有
物理仕様
65m × 110m・約7,100㎡。物理解像度 2,816 × 118px(制作上の仮想解像度 2,816 × 1,686px)
運用開始
2022
稼働状態
稼働中

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