借景と点景のあいだ — Seo Hyojung と東アジアサイネージ思想
Between Borrowed Landscapes and TENKEI: Seo Hyojung and the Aesthetics of East Asian Signage
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恵比寿駅東口を出て恵比寿スカイウォークを抜け、Yebisu Garden Place の Center Square にたどり着くと、約四メートルの縦長スクリーンが広場に向かって立っている。二〇二四年二月、その画面に流れていたのは、ソウルの作家による《Borrowed Landscapes》——「借景」と題されたジェネラティブの連作だった。出品作家の名は Seo Hyojung。プログラムの共同統括ディレクターでもあり、同じ広場に同時に出品されていた十二名の海外作家のうちの一名でもあった。
このプログラム——Poems in Code: Generative Art Today and Programming-Generated Moving Image ——は、CCBT(Civic Creative Base Tokyo)が制作を担い、東京都・東京都写真美術館の主催のもとで、第十六回恵比寿映像祭「30 Ways to Go to the Moon」と連携して開かれた。会期は二〇二四年二月二日から十八日。Center Square は毎朝十時から夜八時まで、誰でも立ち止まって観ることのできる、無料の公共広場である。
ソウルから来た作家が、東京の公共スクリーンの上で「借景」と名付けた作品を流す——この事実そのものに、本稿のテーゼがある。借景 が「枠の外を枠の中へ借り入れる」関係であるならば、点景 は「枠の中の一点が外側の空虚を生かす」関係である。二つは対立ではなく、同じ figure-ground の表と裏として並ぶ。Seo の作品が恵比寿の画面の上で動いたとき、東アジアの二つの空間思想は、同じ広場の同じ画面の上で重なった。本稿はこの重なりを、ソウル光化門・東京恵比寿・プラハ城という三つの具体的な街路の上で辿る。
借景という枠組み
《Borrowed Landscapes》は二〇二〇年から二〇二四年にかけて制作された連作で、Seo がコロナ禍以降の日課コーディングを起点に手掛けてきたジェネラティブ作品群の中核をなす。題名はそのまま、伝統的東アジアの造園手法「借景」をなぞる。庭園の枠の外にある遠山や竹林を、枠の内側の構図に引き入れる——通常は植栽と垣根、開口部の位置と角度によって設計される空間操作のことを、彼女はアルゴリズムに置き換えた。スクリーンの「外側」、すなわち画面に映らない空間を、生成された風景という形で画面の内側に折り畳む試みである。
実装は地味で、執拗である。連作には Beneath the Waves や Echoing Edges、Harmonic Oscillations、Joyous Swirls、Layered Lattices、Pulsating Patterns といった連作タイトルが並ぶ。いずれも自然現象や織物に近い反復構造を持ち、視覚的にはむしろ静謐な、観賞用の山水画に似た佇まいを示す。広告映像が一秒ごとに切り替わるサイネージの世界では珍しいほどに、一画面の中で時間がゆっくり流れる。
本人は、媒体としてのコンピュータを「五感を超える第六感」と位置付けると、Medium 掲載のインタビューで語っている。
I see media technology as a sixth sense that goes beyond the five senses.
— ARTSCLOUD — Interview with Seo, Hyo-Jungsource
「枠の外の現実」を、知覚しきれないままに枠の中へと運び込む装置——として、生成アルゴリズムが扱われている。借景の伝統において遠山を切り取った縁側の柱が果たしてきた役割を、コードの一行一行が引き継いでいる、という読み方ができる。
点景という対概念
借景が「外の景を内へ引き入れる」関係であるとすれば、点景はその裏側に位置する。山水画に小さく描き込まれた人物や舟は、それ自体が主役なのではなく、周囲の余白(間)を生かすために配される。一点が置かれることで、初めて山も水も「画面に余っている空間」になる。図と地の関係において、図が地を作る——これが点景の構造である。
恵比寿の Center Square に立つ約四メートルのスクリーンは、それ自体が一つの点景の場所だった。広場の手前にも奥にも、ビルの壁面と空と植栽が広がっており、その中にぽつりと縦長の画面が立つ。本誌『郊外のスクリーン — 玉川髙島屋S·Cの半世紀』で論じたとおり、街路に置かれた画面は、周囲の建築・空・通行人を引き立てる装置として機能しはじめる。一画面のスクリーンが点景となり、その表面に流れる《Borrowed Landscapes》が借景となる——二つの東アジア概念は、たまたま広場の上で同居したのではなく、必然的に対になっていた。
この対称性は、Seo の側からも、東京の編集体制の側からも、明示的には宣言されていない。共同 Program Director を務めた Takawo Shunsuke と Seo の二人が、日韓どちらの伝統に直接言及した記録も、公式ステートメントの範囲では見つからない。だからこそ本稿はこの重なりを編集部の読解として提示する。借景と点景は対立する概念ではない。スクリーンが街路に立った瞬間に、二つは同じ画面の上で完成する。
光化門の国家ファサード、仁川の空港、ユーラシアの分散網
恵比寿は、Seo の作品が公共サイネージに現れる唯一の場所ではない。Le Random、Pocko、Artpoint といった複数の作家プロフィールには、ほぼ同じ並びで以下の拠点が記載されている——大韓民国歴史博物館(ソウル・光化門)、仁川国際空港、Kerry Center(嘉里中心、杭州)、Ten Square(シンガポール)、Hoog Catharijne(都心型ショッピングセンター、ユトレヒト)、そして恵比寿ガーデンプレイス。掲出時期や上映期間、各拠点での運用主体は一次ソースで確定できないため、ここでは「複数のプロフィールに繰り返し記載されている」事実のみを記す。
それでも、この並びが示す光景は強い。光化門は、ソウルの近代国家史を背負う中心軸であり、その軸線の上に建つ大韓民国歴史博物館のファサード LED に作家のジェネラティブ作品が掲出される、という運用は、日本でいえば皇居前広場や上野の国立施設のファサードに作品が常設で流される、と読み替えることに等しい。仁川国際空港のメディアウォール群は、国際線到着客が韓国に最初に触れる視覚装置として整備されてきた。Kerry Center 杭州、Ten Square シンガポール、Hoog Catharijne ユトレヒト——商業 LED の網は、ユーラシアの東端から西端までを横断する。
一人の作家のジェネラティブが、この網に分散して点滅している。本誌が観察対象とする「キュレーションされたコンテンツが多拠点同時に流れる」分散配信のあり方にとって、これは先行参照ケースである。ハードウェアは別々の事業者が所有し、編成は別々の主体が握っているにもかかわらず、画面の上に立ち上がる作品は同一の作家の名前を持つ——この状態は、作品データベースを上流に置き、キュレーション・レーベルを経由して、連携するサイネージ網へと作品が流れていく構造の、すでに実在する素描である。
教育者と作家のあいだ
Seo の経歴は、作家のキャリアとしては少し異質である。一九七二年ソウル生まれ。서울여자대학교(Seoul Women's University)で化学を専攻して卒業後、SADI(Samsung Art and Design Institute)で Communication Design、続いて IDAS(弘益大学 国際デザイン専門大学院)で Digital Media Design の MFA を取得している。二〇〇一年以降、SADI Associate Professor を本職とし、Hanyang・Dongguk 大学院などでも教鞭を執ってきた。教育キャリアは、すでに二十年を超える。
ジェネラティブアートへの本格的な傾倒は、コロナ禍以降である。本人は Zach Lieberman の影響を明言し、毎日コードを書くという日課を起点に、現在の連作群を立ち上げてきた。教育者として二十年以上、創作者としては五年あまり——この時間差が、彼女の作品に独特の落ち着きを与えている。サイネージの世界で生計を立てる作家であれば一度は通る商業案件(Nike、SHISEIDO、Peugeot、Shu Uemura、Guerlain など)も経験している一方で、メインの仕事はあくまで教室と研究室にある。日課コーディングは、教える側の人間が、自分自身の手を動かす作業を絶やさないための実践である。
この二軸性は、本誌が継続して育てている「東アジアサイネージ思想」の枠組の骨格に直結する。中国本土の作家として本誌が並走中の Raven Kwok とは、教師としての立ち位置・国家インフラとの距離・SNS 圏での発信スタイル、いずれの軸でも対照を成す。中国本土・韓国・日本の三辺で、サイネージ × ジェネラティブの生態系がそれぞれ異なる形で立ち上がっている——その輪郭を、作家ベースの個別記事で固定していく作業の起点として、Seo の存在は際立つ。
Coded Tapestry と、東アジアの地理学
二〇二四年十月、Seo はプラハに飛んだ。中欧最大級の都市ライトフェスティバル Signal Festival で、Prague Castle Riding School(プラハ城 旧馬廠)の外壁にプロジェクションされたのは、《Coded Tapestry: Prague》——「コードによるタペストリー」と題された連作の、プラハ版である。連作は都市ごとに「ローカル版」を作る形式を取っており、地域固有の織物・幾何・自然のモチーフをコードに翻訳する手順そのものが、作品の本体になっている。
ローカライズ可能なジェネラティブ作品——これは、二〇二二年の Demo Festival(ユトレヒト起点、世界各都市の屋外スクリーン網に分散配信)や D:Art Festival(ロンドン拠点)で本格化したアプローチの延長線上にある。各都市の文脈に応じて作品を生成しなおしながら、画面という共通フォーマットだけが土地を超えて移動していく。本誌が将来構想する分散配信モデルとは、まさにこのような作品形式と相互に呼応する。コードの一行を書き換えれば、ある都市のテキスタイル文化が別の都市の画面の上で再生される。アーティストは、その書き換えの設計者である。
本稿は、本誌における作家ベース記事の最初の一本である。これに続けて本誌が並走している Raven Kwok の記事と組み合わせることで、「東アジア発・国際サイネージ作家」の最初の対が完成する。中国本土の Raven Kwok、韓国の Seo Hyojung——二人の作家を縦軸とし、本誌が今後拡張していく東アジアサイネージ思想の地理学の、最初の二点を打つことになる。
恵比寿の四メートルのスクリーンに戻ろう。Seo Hyojung の借景が画面の中に流れ、画面そのものが広場の点景として街路に立つ——二〇二四年二月の十六日間、そこには借景と点景が同居していた。スクリーンが街路に置かれるたびに、二つの東アジア概念は、観客の知らないうちに、もう一度重なり直す。本稿はその重なりの座標を、ソウルと東京とプラハに打ち直した最初の試みである。
出典
- MoltenArt / Dorothy Di Stefano,Generative artist, Hyojung Seo — MoltenArt (YouTube)
- CCBT / Tokyo Metropolitan Government,Poems in Code — Civic Creative Base Tokyo (CCBT)(2024-02)
- MoltenArt / Dorothy Di Stefano,Generative art — Artist Seohyo (Tokyo Midtown) — MoltenArt (YouTube)
- Le Random,Seohyo — Artist Profile, Le Random
- Signal Festival,SIGNAL FESTIVAL 2024 | AFTERMOVIE (YouTube)(2024-10)
- Signal Production s.r.o.,Seohyo (KOR) — Signal Festival Prague 2024(2024-10)
- Tokyo Art Beat,Yebisu International Festival for Art and Alternative Visions 2024 — 30 Ways to Go to the Moon
- Seo Hyojung,About Hyojung SEO — seo.hyo
- ARTSCLOUD,Interview with Seo, Hyo-Jung
- Seo Hyojung,서효정 (@seohyo) — Instagram
- Pocko,Seo Hyojung — Pocko